縫合不全による過失
縫合不全による腹膜炎等の検査を実施しなかった過失
大阪地裁平成15年3月31日判決の事例を参考
110万円の支払いを命じた事例
【ケース】
手術の経過
父は,平成10年9月4日,胃の不調を訴え,病院で受診したところ,胃癌(未分化型腺癌)でと診断されました。
父は,9月14日,入院し,24日には胃の全摘手術,膵尾部脾合併切除,胆嚢摘出手術,食道空腸吻合術を受けました。
この手術の際,腹腔内からのドレナージのために,右・左ドレーンが留置されました。
そして,右ドレーンについては10月2日に抜去され,左ドレーンについては5日に抜去されました。
術後の経過
父は,10月9日,39度以上の発熱がありました。
医師は,父の発熱がカテーテルによるものであると疑い,中心静脈カテーテルを抜去しました。
そして,10月12日,医師が腹部エコー検査,CT検査を実施したところ,左横隔膜下に液体の貯留が発見されました。
そこで,医師は,左横隔膜下膿瘍を疑い,父に抗生物質の投与を行いました。
10月16日に再度腹部エコー検査を実施したところ,左横隔膜下の貯留物が残存していました。
医師は,エコーガイドによる穿刺ドレナージ術を行ったところ,膿の排出が認められ,左横隔膜下膿瘍と診断しました。
10月19日,医師が腹部CT検査を行ったところ,汎発性腹膜炎であることが分かり,開腹ドレナージ術を実施したところ,食道空腸吻合に縫合不全が確認されました。
退院後の経過
父は,平成10年12月18日に退院しましたが,翌年1月19日には再入院し,2月5日に開腹手術を受けました。
手術の結果,父は,癌性腹膜炎であることが分かり治療を受けることになりました。
父は,5月16日に退院し,7月17日に自宅で死亡しました。
【質問】
父のドレーン抜去時期が早かったために,左横隔膜下膿瘍になったと考えています。
また,仮にドレーンの抜去時期が適切であったとしても,平成10年10月7日,あるいは39度台の発熱が認められた9日には縫合不全の可能性を疑い,検査を実施して適切な処置をとるべきであったと思います。
今回の件で医師に責任はないのですか。
【説明】
ドレナージ
ドレナージとは,体内にたまった余計な水分や血液などを体外に抜く措置のことをいいドレーンは,ドレナージを行うためのゴム製またはシリコン製などの合成樹脂性のゴムのことです。
ドレナージ処置
消化器外科手術の際は,ある程度の腹腔内の汚染や創傷部位からの出血やリンパ液の漏出は不可避であり,また,膵液や胆汁が貯留すると,創傷治癒が障害されるため,腹腔内の貯留液を腹腔内ドレーンによって合理的に体外へ誘導する必要があります。
そして,腹腔内にドレーンを挿入すべき部位は,浸出液や漏出液の貯留しやすい部位(左右横隔膜下肝床下腔等)や消化官吻合部などの縫合不全を来しやすい部位です。
その管理においては,排液の量や性状としての色調,膿の有無,粘稠度,臭気の有無に注意して観察し,発熱やドレーン浸出液に異常所見がなければ,術後2から7日で抜去する場合が多いとされていますが,創治癒上吻合のおよその完成は約2週間であるため,原則として2週間が抜去の目標となるとの指摘もあります。
ただ,経過が良好で浸出液が少量しか流出しない場合には,ドレーンから腹腔内へ細菌が侵入する逆行性感染の原因になる可能性もあるので,不必要に長期間留置することを避け,適切な時期に抜去する必要があります。
縫合不全
縫合不全とは,縫合部位の創傷治癒が不十分で生理的癒合に至らず,縫合線に破綻をきたし,創傷の一部又は全部が離開した状態とされています。
縫合不全の病因としては,全身的因子と局所的因子があります。
消化管の縫合不全は,細菌を含む消化管の内容が腹腔内などの管腔外に漏出するため感染を起し,感染が局所に限局している場合には膿瘍を形成し,限局しない場合には,汎発性腹膜炎や膿胸などさらに重篤な合併症を併発します。
そして,これらの感染が適切に治療されない場合には,敗血症に移行して,多臓器不全を併発する危険性もあります。
縫合不全の治療法
原則として,早期に,縫合不全による腹膜炎もしくは膿瘍を限局化させ,漏出物を可及的に体外ドレナージするとともに,検出菌に感受性のある抗生剤を選択して投与し,さらに全身状態の改善,栄養補給を充分に行うことです。
そして,縫合不全の治療上,最も重要なのは,縫合不全部の的確なドレナージによる排膿であり,ドレーンが挿入されていない場合には,ドレーン等を挿入する必要があります。
ドレナージの方法としては,皮膚と膿瘍との間に腸管などの臓器がなければ,手術を行わなくても,超音波ガイド下穿刺ドレナージ,あるいは透視下ドレナージをすることができ,特に,横隔膜下膿瘍では,超音波ガイド下穿刺ドレナージが適応となります。
膿瘍が深部で,超音波ガイド下や透視下のドレナージが不可能な場合や,汎発性の腹膜炎の合併が疑われる場合は,再手術により開腹的ドレナージを行うことになります。
中心静脈カテーテル感染
中心静脈カテーテルの留置中に発現する発熱のことをいい,通常,突然に発熱し,多くの場合弛張熱の型をとります。
カテーテル留置中の患者において38度以上の発熱を認めた場合に,カテーテル抜去により速やかに解熱すれば,カテーテル感染症とされます。
その原因としては,カテーテルから血中に侵入する細菌や血管内のカテーテル周囲の血栓の感染による菌血症によるものとされています。
中心静脈カテーテル感染の治療法
カテーテルを抜去すると1から2日で解熱,軽快する場合が多いですが,全身状態への影響がなく,39度以下で白血球数が1万以下の場合には,カテーテル抜去のみで様子を見て,2から3日経過しても解熱しない場合には抗菌薬を投与し,それ以外の場合には,カテーテルの抜去とともに,化学療法を開始すべきとされています。
裁判所の判断
本件手術日から本件ドレーン抜去時ころまでの間,患者の左右のドレーンからの排液量はいずれも減少傾向にあり,その排液の性状については,暗血色から淡々血性,淡黄色程度に改善されており,ドレーン抜去時において排液に膿や臭気は認められなかったこと等から縫合不全ないしそれによる腹膜炎の発現を示唆する所見があるとはいい難いと認定しました。
そして,患者の症状・所見と,ドレーンを不必要に長期間留置したままにすると,逆行性の感染症を引き起こす危険性があることを総合勘案して,ドレーンの抜去が,医学的に不適切であるとは必ずしもいい難いとし,予防的ドレナージのために,本件ドレーンの留置を継続すべき注意義務違反があったとまではいえないと判断しました。
他方,患者は,10月6日,7日には,食事摂取時における腹痛があったといえること,同月9日になって突然最高で39.5度の発熱を認め,10日も最高で38.1度,同月11日も最高で38.8度と高熱が認められること,CRP値が12日には基準値を大きく上回って極めて高値となっていたこと,同月12日には白血球数が基準値をかなり上回る数値となっていること,12日の腹部CTにより,左横隔膜下に直径5センチメートル程度の液体の貯留物が認められたこと等の所見を総合すると,遅くとも同月9日までの時点において,縫合不全による左横隔膜下膿瘍が形成されていたものと推認できると判断しました。
また,胃の全摘術の場合,縫合不全の発生率は比較的高いといえるし,本件手術後2週間を経過しても縫合不全の発生は少なからずあること,腹腔内膿瘍については,腹膜炎のときに見られる筋性防御を呈することは少なく,限局性の膿瘍では周囲の麻痺性腸管の拡張をみることはあるが,腹部全体の膨隆(腹部膨満)をみることは少ないとの指摘や,初期段階では臨床症状が必ずしもはっきりしないため,その診断については,手術後に持続する高熱あるいは一旦解熱してから弛張熱が起こり,他に発熱の原因がない場合には腹腔内膿瘍の存在を疑うべきであるとの見解もあること等に照らすと,カテーテル熱の他に,縫合不全ないし腹腔内膿瘍の可能性も否定できないというべきであると判断しました。
そして,縫合不全から腹膜炎あるいは膿瘍が発生すれば,胃癌のため胃全摘術を受け,免疫能が低下している患者においては,その転帰によっては,死亡する危険性も否定できず,迅速に診断して治療する必要性があるというべきであるから,カテーテルの抜去と並行して検査をするか,少なくともカテーテル抜去後の経過観察を注意深く行い,改善の兆しがみられない場合には,速やかに上記検査を行うべきであるといえると判断しました。
以上より,遅くとも高熱が継続していた同月11日までには,カテーテル熱の他に,本件手術部位の縫合不全による腹膜炎その他の可能性を疑って,胸腹部レントゲン検査や超音波検査,CT検査等各種の検査を行うべきであったといわなければならないとし,仮にそのころまでに検査を実施したとすれば,同月12日の左横隔膜下の貯留物の状態からすると,検査の時点で,左横隔膜下の膿瘍を発見し得たはずであり,また,仮に検査で横隔膜下の膿瘍が発見されたとすれば,局所的処置として,超音波ガイド下穿刺ドレナージあるいは透視下ドレナージを実施して膿瘍部からの排膿を実施するとともに,全身的処置として,検出菌に感受性のある抗生剤を選択して投与することが可能であったことから,係る処置をとるべきであったと判断しました。
以上を前提に,裁判所は,患者が汎発性腹膜炎となり開腹的ドレナージ術を受けるとともに,その治療に必要な期間さらに入院,絶食を継続せざるを得なかったことによって,被った精神的苦痛等に対する損害賠償として110万円の支払いを命じました。
スター綜合法律事務所