医師の裁量
そもそも、医療は、医師の専門的知識に基づく広範な裁量行為によって初めてその目的を達することがでるという側面を有しています。
このことから、医師には、検査の要否・時期、治療の要否・時期・方法の選択などの決定において裁量が与えられています。
このことを端的示すのが仙台高判平成6年12月15日「椎弓切除事件」判決です。
また、札幌地判平成10年3月13日「MRI検査不実施事件」判決では「医師に対し、現在の医学において認められている可能な診断方法をすべて講ずるよう要求することは不可能であり、診断方法の選択については、いわゆる医師の裁量を否定することができない」とされ、岡山地判平成10年4月22日「放射状角膜切開術」事件においても「医師は診療にあたり、いかなる療法を用いるかを選択する裁量権を有する」とされており、裁判例においても医師の裁量が認められています。
当然のことながら、医師の裁量が認められるとしても、裁量に基づく選択というものは、医学的判断でなければなりません。
そして、医学的な判断であるという以上、医師が十分な知見・情報に基づいて判断していることが必要となります。仙台高判秋田支部平成10年3月9日「がん告知事件」判決では、「医師が末期癌の患者及びその家族に対して、癌告知を行うべきかどうか、誰にいつどのように告知すべきか、ということについては、・・・諸事情を検討したうえでの専門家である医師がなした告知・不告知という判断を基本的に尊重すべき(だが)、医師が、積極的に右事情について情報収集をしなかったり、収集した情報を真剣に検討しないままに、漫然と癌告知しないという判断にいたることを許容するものではなく、・・・患者に関する諸事情に注意を払い、できる限り右患者に関する諸事情についての情報を得るよう努力する医療契約上の義務がある」とされていますが、かかる判決も医師の裁量による判断が医師の知見や情報を前提にしていることを求めています。
また、医師の裁量にもおのずと制限があり、先の札幌地裁の判決では、「その(医師の)裁量も診断当時のいわゆる臨床医学の実戦における医療水準によって画されているといわなければならい」としています。
さらに、先の仙台高判の判決では、「(医師の裁量は)あくまで患者の自己決定権を基礎とするものでなければならない。
そして、その前提として、患者には、手術の目的、方法、内容のみならず、手術の危険性、手術による後遺障害発生の危険性、手術に代わる治療手段の有無、手術をしない場合の予後の見通し等、承諾をするか否かを決めるにつき考慮の対象となるべき情報が与えられる必要がある。
そのため、医師には、これらの事柄、とりわけ当該手術が重大な危険性を伴うものである場合には、専門的見地から、可能な限りその危険性のみならず、その発生頻度を具体的に患者に説明した上で、患者の自己決定権に委ねる義務があるというべきである」と判示されています。
そして、大分地判平成10年6月30日「ウイリス動脈輪閉塞症事件」判決では、脳・硬膜・動脈癒合術よりも侵襲の大きい脳・筋・動脈癒合術を、しかも両側同時に実施しなければならない必要性・緊急性がなかったとして、あえてそれを選択した医師の過失を認定しています。
このことから、医師の裁量が認められるのは、いずれも医療水準をみたした2以上の選択肢がある場合で、選択にあたっては知見・情報を基にした医学的判断がなされていることが前提となり、選択にあたり危険な方法を選択する際には、医師による説明を前提に患者の自己決定権を尊重しなければならず、医師があえて危険な選択肢を選択した場合には、それに応じた高次の注意義務が課されているといえるのです。